聖徳太子

 

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【聖徳太子】謎多き賢人は実は存在していなかったかも?!

名前すらも謎の人物

 

飛鳥時代の一番の有名人といえば、もちろん聖徳太子でしょう。

なんと言っても昭和5年から紙幣に7度も登場しているのです。

 

そんな聖徳太子ですが、お札に使われていた肖像画も実は「これって聖徳太子じゃないんじゃね?」と言われています。

活躍した時代が時代なだけに非常に謎多き人物です。

神格化されていて数々の伝説があり、逆に近年の研究では、聖徳太子は架空の人物ではないか?という説すらもあります。

僕自身、聖徳太子推しなので解明するのもツライところ…。

 

果たして聖徳太子とはどのような人物であったのでしょうか?

調べてみたので是非コラムを読んでみてくださいね。

 

まず「聖徳太子」という名前は本名ではありません。

「聖徳太子」とは後に付けられた尊称、もしくは諡(おくりな)です。

諡とは、帝王や貴人などの死後に奉る、生前の功績に基づく名前のことです。

 

本名は「厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)」と言われています。

しかし、これも同時代の文献によるものではありません。

古事記」では「上宮之厩戸豊聡耳命(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこ)」とされ、「日本書紀」では「厩戸豊聡耳皇子命(うまやとのとよとみみのみこのみこ)」という早口言葉のような呼び名で書かれています。

 

また、「上宮(かみつみや)」を冠した呼称も見られます。

「日本書紀」では太子一族が住んでいた斑鳩宮を「上宮」と呼んでいたり、子供である山背大兄王を「上宮王」としています。

 

「聖徳太子」という呼び名は死後129年後に編纂された「懐風藻」が最初であるとされています。

「厩戸王」という名前も、懐風藻にて初登場します。

 

平安時代の史書ではいずれも「聖徳太子」で「厩戸」の表記はありません。

この時代にはすでに聖徳太子の呼び方が一般的になってて、人々に愛されていたことがわかりますね。

 

聖徳太子の功績

 

僕が子供の頃、歴史で習った聖徳太子像は、推古天皇の元で政治を行なったという人物でした。

遣隋使を派遣し、仏教を取り入れ、冠位十二階や十七条憲法を定めるなどの功績があったと言われています。

さて、これらの話の真相はどうなのでしょう?

これらの膨大な実績を果たして一人の人物がすべて成せるのか?

 

まず「厩戸皇子」が「十七条憲法」や「冠位十二階」に中心人物として確実に関わっていたという資料が見つかっていません。

ガックリ…。

もちろん、厩戸皇子が当時の政治の中枢にいたことは確実です。

なので全く無関係であったとは思えません。

 

大山誠一さん著「<聖徳太子>の誕生」という本で見ますと。

中国の史料である「魏国伝」によると、600年に第一回の遣隋使が派遣されたました。

そこの記述では、当時の日本ではまだ文字や記録は日常的な政治では使用されていなかったそうです。

 

そんな文化レベルであったのに、本当に604年に十七条憲法は作られたのか?

聖徳太子がいかに天才だったとはいえ、ちょっと無理じゃね?というのが主張されています。

仮に作れたとしても、これを理解できる役人がどれだけいるのか?

なので、この日本書紀に記載されている「604年」を疑う説があるのです。

 

じゃあ「冠位十二階」はどうだったの??

これは当時あったそうです。

中国でも同じような制度があったので取り入れたと思われます。

しかし、これは新しい人材登用というより、対外的な先進国アピールの色が強かったそうです。

しかし、これまた厩戸皇子が積極的に関わっていたという証拠が見つかっていません。

 

なので、これらの功績は「聖徳太子」の功績ではなく、推古天皇、厩戸皇子、蘇我馬子などの共同体制による運営だという見方が今は強いそうです。

ただ、全部が事実でなかったとしても、先述の通り、死後まもなく神格化されているところから、厩戸皇子が優秀な政治家であったことは間違いないでしょう。

 

奈良と聖徳太子

法隆寺

 

奈良で聖徳太子ゆかりの場所といえば、まずは「法隆寺」です。

西院伽藍はなんと現存する世界最古の木造建築なんです。

聖徳太子の時代の伽藍は一度焼失しており、現存のものは7世紀末に建てられたものです。

 

法隆寺はもちろん国宝で、世界遺産にも登録されています。

建造物だけでなく、仏像や工芸品も貴重なものが多数残されています。

 

法隆寺はJR奈良駅から電車で3駅目。そこからはバスで行くことが出来ます。

ならまち観光のついでにはちょっと遠いけど、是非行ってみてください。

 

法隆寺金堂にある薬師如来像の背面には、用明天皇が果たせなかった薬師像を作るという願いを、後に推古天皇と聖徳太子が実現させたことが書かれています。

聖徳太子非自在論を唱える大山先生も、厩戸皇子が法隆寺を建立したことまでは否定していません。

 

達磨寺

もう一箇所が王寺町にある達磨寺です。

聖徳太子のペットである「雪丸」が葬られているのです。

元旦に雪丸が吠えるとその年は豊作になるんで、豊作祈願で奉られているのです。

 

お察しの通り、聖徳太子の愛犬らしく雪丸にもトンデモ伝説が多く残されています。

人の言葉を理解し、お経まで読めたのです。

最期は達磨大師のお墓の北東に葬って欲しいとの遺言を残しています。

 

現代の雪丸は王子町のマスコットキャラにもなっています。

 

橘寺

橘寺は明日香村にある太子建立7ケ寺のひとつです。

聖徳太子生誕の地であると言われています。

 

明日香村はならまちからはかなり遠く、ついでに見ていくにはなかなかツライところ。

どうせなら、明日香村には多くの遺跡が残されているので一日かけて楽しんでください。

明日香村の観光地はこちら

 

ソラニ満ツの「聖徳太子」

 

聖徳太子Tシャツ

なにげにこのTシャツが一番人気だったりします。

生地は濃い目のネイビーです。

 

シンプルなデザインなのでいろんな服と合わせやすいと思います。

うちの看板Tシャツのひとつですね。

 

以上が聖徳太子についてまとめたコラムになります。

今、奈良国立博物館では「聖徳太子と法隆寺」展が開催されています。

行こうと思っているので、見てきたらまた追記しますね。